机上、枝条、そのほか

机上、枝条、そのほか

アフォリズムのリハビリテーション #803

・カメラの描写力を眼のあたりに見ている現代の小説家は、なるほど描写というものについて、気が弱くなっているという事はあるだろう。人間の行動に関しては、カメラにかなわないが、心理の世界は、まだ作家に残されているというような事を言っているが、そんな事を言ってみても、描写という言葉で、知らず識らずの間に、頭がやられている事に気がつかなければ、何を言っている事にもならない。詩を離れて身軽になったと思い込んだ近代小説は、実は、いつの間にか、現実という重い石を引摺っていた。腐れ縁とはみなそういうものだろう。作品の魅力も力も真実も、すべて現実というモデルに背負ってもらって、小説は大成功を収めて来た。批評家達も、その方が楽だから、いつもモデルの側に立ってものを言って来た。実社会の分析が足りない、心理過程の描き方が不自然である、このような恋愛が今時何処で行われていると思うのか、そんな文句ばかり附けているうちに、小説読者の方でもじれったくなり、モデルを直かに見せろと言い出す事になった。ここに、視聴覚芸術の攻撃にさらされた活字芸術という観察が生れる。

小林秀雄『考えるヒント』