2008-09-01から1ヶ月間の記事一覧
・死にたくてならぬ時あり はばかりに人目を避(さ)けて 怖(こは)き顔する 石川啄木「一握の砂」(『啄木歌集』より)
・人並の才(さい)に過ぎざる わが友の 深き不平もあはれなるかな 石川啄木「一握の砂」(『啄木歌集』より)
・ただひとり泣かまほしさに 来て寝たる 宿屋の夜具(やぐ)のこころよさかな 石川啄木「一握の砂」(『啄木歌集』より)
・箸(はし)止(と)めてふっと思ひぬ やうやくに 世のならはしに慣れにけるかな 石川啄木「一握の砂」(『啄木歌集』より)
・非凡なる人のごとくにふるまへる 後(のち)のさびしさは 何にかたぐへむ 石川啄木「一握の砂」(『啄木歌集』より)
・何がなしに さびしくなれば出(で)てあるく男となりて 三月(みつき)にもなれり 石川啄木「一握の砂」(『啄木歌集』より)
・浅草の夜(よ)のにぎはひに まぎれ入(い)り まぎれ出(い)で来(き)しさびしき心 石川啄木「一握の砂」(『啄木歌集』より)
・燈影(ほかげ)なき室(しつ)に我あり 父と母 壁のなかより杖(つゑ)つきて出(い)づ
・戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄のごとくではあり得ない。人間は可憐であり脆弱(ぜいじゃく)であり…
・徳川幕府の思想は四十七士を殺すことによって永遠の義士たらしめようとしたのだが、四十七名の堕落のみは防ぎ得たにしたところで、人間自体が常に義士から凡俗へ又地獄へ転落しつづけていることを防ぎうるよしもない。節婦は二夫に見(まみ)えず、忠臣は…
・「この『文学部唯野教授』という虚構テクストに於ては」と、唯野が喋りはじめる。「きみの文壇ジャーナリズムの規範と、ぼくの、メタ物語に依存していたため今や衰退の危機にある大学というものの規範との対置に、テーマのひとつが置かれている。現実の日…
・「友がみな、われよりえらく見ゆる日よ。花を買い来てしたしむ妻もおれにはおらんのだ」 筒井康隆『文学部唯野教授』
・時に、残月、光冷やかに、白露は地に滋(しげ)く、樹間を渡る冷風はすでに暁の近きを告げていた。人々はもはや、事の奇異を忘れ、粛然として、この詩人の薄倖を嘆じた。 中島敦「山月記」(『日本の文学36』より)
・「愛だって習うものだよ」 G・ガルシア=マルケス『予告された殺人の記録』
・「きみにだけはいうまいとおもっていた、この世で一等こっけいなことだけど」 「わかってるわ。でもおっしゃらないで。そのことばが耳にはいったら、未紀は舌を噛んで死にます」 倉橋由美子『聖少女』 コメント 原典では「噛」ではなく環境依存文字のほう…
・「けっきょく、あなたは未紀さんを愛してるの?」と作家は何度でもぼくにたずねた。そしてぼくはそのたびに愛していると答えておいたが、それは挨拶の一種としてにすぎない。愛しているかどうかという状態に関する問いは意味をなさないというのがぼくの考…
・ぼくは姿のみえない精神分析医をまえにして語っていたような気がする。 倉橋由美子『聖少女』
・近親相姦はふつうの人間には禁じられているのだ。これをおこなう資格があるのは、自分の兄や妹を愛することができるほどの精神的エネルギーをもった女、あるいは男にかぎられますよ。こういう精神的王族は、自分たちだけで愛しあい、神に対抗して自分たち…
・ぼくの口は悪い血のような恥と暗黒を語ろうとしているのに、でてきたことばは夏の陽にふれると蜜のようにすきとおり、それは不幸な冒険の熱い歌となる。 倉橋由美子『聖少女』
・このあいだのパパは本物の父親みたいでした。娘を叱る父親のように、あたしを叱りました。困ったことに、あたしはパパに叱られるのが大好き。道学者ぶったおじさんにでも叱られたら、牙をむいて咬みついてやるでしょうけれど、パパみたいな悪党にうんざり…
・あおみどりに澄んだ右の眼と金色にらんらんと光る左の眼でパパを迎えるべきなのに、あたしは病気でした。恋という病気。熱いけだるさ。あたしの掟はパパと一度だけあいしあうことでした。二度、三度、……それにはなんの意味もなかったはずです。 倉橋由美子…
・いま、血を流しているところなのよ、パパ。なぜ、だれのために? パパのために、そしてパパをあいしたためにです。もちろん。 倉橋由美子『聖少女』
・思うに希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。 魯迅「故郷」(『吶喊』より)