2008-10-01から1ヶ月間の記事一覧
・結局、つまる処は、みんな誰かが好きなのだ。 新井素子「緑幻想」(『グリーン・レクイエム/緑幻想』より)
・命は河。なのに、おまえ達はもう、海へつくことができない。 新井素子「グリーン・レクイエム」(『グリーン・レクイエム/緑幻想』より)
・人々がお前をからかい、愚弄して、《十字架から下りてみろ、そしたらお前が神の子だと信じてやる》と叫んだとき、お前は十字架から下りなかった。お前が下りなかったのは、またしても奇蹟によって人間を奴隷にしたくなかったからだし、奇蹟による信仰では…
・「もし悪魔が存在しないとすれば、つまり、人間が創りだしたのだとしたら、人間は自分の姿かたちに似せて悪魔を創ったんだと思うよ」 「それなら、神だって同じことですよ」 ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』
・毒蛇(どくじゃ)が別の毒蛇を食うだけさ、どっちもそれがオチだよ! ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』
・惚れるってことは、愛するって意味じゃないぜ。惚れるのは、憎みながらでもできることだ。 ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』
・わたしはいつも、人さまの前に出るたびに、俺はだれより下劣なんだ、みんなが俺を道化と思いこんでるんだ、という気がするもんですから、そこでつい『それならいっそ、本当に道化を演じてやれ、お前らの意見など屁でもねえや、お前らなんぞ一人残らず俺よ…
・写真は過去の現在化である。 多木浩二『天皇の肖像』
・おれは一時間一ドルの人間だ! アーサー・ミラー『セールスマンの死』
・現実に堪えられなくて逃げこんだ非現実の世界は、現実以上の地獄で、おれはその針の山を這いずるようにして生きていたんだ。 中井英夫『虚無への供物』
・完全な密室の中で死を迎へる時にのみ死者は不思議な翼を与へられるのです。 中井英夫『虚無への供物』
・世間は新事件と新理論を捜していて、青年なぞ必要としていないのではなかろうか 小林秀雄『考えるヒント』
・批評は、非難でも主張でもないが、また決して学問でも研究でもないだろう。それは、むしろ生活的教養に属するものだ。学問の援用を必要としてはいるが、悪く援用すればたちまち死んでしまう、そのような生きた教養に属するものだ。 小林秀雄『考えるヒント…
・過渡期でない歴史はない。 小林秀雄『考えるヒント』
・人間は歴史を持つ。社会だけなら蟻でも持つ。 小林秀雄『考えるヒント』
・人は悲しみのうちにいて、喜びを求める事は出来ないが、悲しみをととのえる事は出来る。 小林秀雄『考えるヒント』
・人間の類型しか描けていないと小説で非難される、その類型が、漫画家には必要である。 小林秀雄『考えるヒント』
・カメラの描写力を眼のあたりに見ている現代の小説家は、なるほど描写というものについて、気が弱くなっているという事はあるだろう。人間の行動に関しては、カメラにかなわないが、心理の世界は、まだ作家に残されているというような事を言っているが、そ…
・もう明日へは行かない 萩尾望都『ポーの一族』
・おいていきません とも…! わたしたちは 結婚するのよ そして 子どもを 産んで 育てて まろやかな 家庭を 作るのよ なにもかも とりもどせ ますとも …… 萩尾望都『ポーの一族』
・知ってるくせに 知ってるくせに 春には 少女が どれほど あまいか 目が 笑って キスを 誘うか 萩尾望都『ポーの一族』
・誰(た)そ我に ピストルにても撃(う)てよかし 伊藤のごとく死にて見せなむ 石川啄木「一握の砂」(『啄木歌集』より)
・人といふ人のこころに 一人づつ囚人(しうじん)がゐて うめくかなしさ 石川啄木「一握の砂」(『啄木歌集』より)
・うすみどり 飲めば身体(からだ)が水のごと透きとほるてふ 薬はなきか 石川啄木「一握の砂」(『啄木歌集』より)